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特急「さくら」 [日記・ブログ]

【写真は さくら編成を牽引するEF66型電気機関車】



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この土曜日、日曜日はお花見日和に恵まれ、各地の桜の名勝はお花見客でにぎわった。一方鉄道界にも「桜」に由来する特急列車があった。その特急「さくら」について記してみます。


●特急「櫻」黎明期


特急「櫻」のルーツは、1923年(大正12年)7月に3等特別急行列車(3等車のみで編成された第3・4列車)が格上げされた急行に遡る。当時、特急はこの列車と1・2等特別急行列車(1・2等車で編成された第1・2列車)の2往復しかなかった。


昭和に入り、旅客誘致のため、これらの特別急行列車の列車名が公募された。その結果、日本初の列車名として1929年(昭和4)9月15日に1・2等特別急行列車が「富士」、3等特別急行列車が「櫻」と命名され、11月7日からテールマークも掲げられた。


翌年には「櫻」用の客車が鋼製3等車い置き換えられ、1931年(昭和6年)6月から3等寝台車が連結された。当初連結区間は京都~下関だったが、寝台車の人気は高く,1934年(昭和9年)3月からは全区間の連結になった。同年12月には2等車と2等寝台車の連結の始まる一方、3等車が前向き固定座席車から向かい合わせの普通座席(スハ32型)に変更された。それまでは東京と下関で行われていた客車の方向転換作業が解消された。(東京は品川~大崎~蛇窪信号所間のデルタ線を使用。下関は転車台で1両ずつ方向転換⇒こんな光景は現在、大宮と京都の鉄道博物館しか見られない))


1942年(昭和17年)11月に関門トンネルが開通し、区間は東京~鹿児島間に延長されたものの、戦況の悪化によって急行に格下げされて「櫻」の列車名を廃止。無名の急行となった。


●東京~大阪間の臨時列車として2代目の「さくら」登場


戦後の1949年(昭和24年)9月15日東京~大阪間に「へいわ」の列車名で特急が走り始め、のちに「つばめ」「はと」の2本体制となった。これを補完する東京~大阪間の臨時特急として。1951年(昭和26年)4月1日に2代目「さくら」が登場し多客期に運転された。


客車は当初、3等車のオハ35系を中心とした編成で、食堂車はあったが2等車はなかった。後のスハ43系に代わり、2等車も連結。1957年(昭和32年)7月から特急「かもめ」用の特急用のスハ44系を転用し、特急編成が整った。


●東京から佐世保まで結ぶ長距離寝台特として活躍


1957年(昭和32年)10月1日、東京~長崎間に一般客車の寝台特急「さちかぜ」が登場した。しかし、同じく寝台特急「あさかぜ」と名前が混同しやすすいため、1958年(昭和33年)10月に「平和」と改称された。さらによく59年7月20日、客車がブルートレインと呼ばれる20系寝台客車に置き換えられたのを機に、列車名も「さくら」(東京~長崎間、附属編成は東京~博多間)に変更された。


その後1961年(昭和36年)客車特急の「つばめ」「はと」が電車化され、栄誉ある列車番号の「1列車・2列車」(全国数ある列車の中で最初の番号)が「さくら」に割り当てられた。


1965年(昭和40年)10月からは、博多止まりの車両を使って佐世保まで延長され、九州側は長崎と佐世保が発着駅となった。